以下、最低最悪のうじうじっぷりです。
公開するのはどうかと思いましたが、
ペットロスの1フェーズとして記録しておきたいので
記事にすることにしました。
「いつまでもめそめそ女々しいこと言ってんじゃねーっ。」
という方は、
ぜひともスルーでお願いします。
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もう、毎日まったく普通に暮らしています。
友人Jも来海して、てんこ盛りの援助物資に大喜びして、
毎日おいしいごはんを食べに行ったり、
うろうろ遊びに行ったりして、
元気だし、
10/30前後で減った体重もすっかり取り戻したし、
でも、悲しい。
もうやることなすこと、考えること、
ひとつひとつ、いちいち、なにもかもが、
悲しい。
ペケペケが死んですぐは、悲しくなかった。
そんなことあるわけない、って思われるかもしれないけど、
悲しくはなかった。
さびしくてさびしくて、
ペケペケがいなくなっちゃったことがとにかくさびしかったけど、
「悲しい」というのとは、違った。
ペケペケは、19歳で、
チマチマ11歳、ペペ17歳より長生きして、
ゆっくり年を取って慢性腎不全になって、
最後の数日、窓際の陽だまりで抱っこしてうたた寝する、
幸せな幸せな時間を私にくれて、
苦しまず眠るようにとはいかなかったけど、
きっとそれは、「かはっ」と苦しんでいる様子を見せでもしないと
このすっとこおかまいなし大バカタレ飼い主、気づかないかも、
というペケペケの気遣いだったかもしれなくて、
飼い主、気づいたから抱っこできて、
飼い主の腕の中で最後の瞬間を迎えた。
ほんとうにほんとうにこれ以上望むことはないくらい幸せなことで、
悲しくはなかった。
でも今は、
毎日悲しい。
なんどもなんども読み返していた10/30以前の記事も読めなくなった。
ペケペケがいなくなってできることも、できないことも、
新しいカメラも明るい部屋も、
ぜんぶ悲しい。
[0回]
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COMMENT
時間だけが
ペケペケちゃんのこと、悲しい気持になるのはしかたがないことだと思います。誰も代わりにはできない寂しさだし、ペケペケちゃんを愛しいと思っていた気持が大きければ大きいほど、その悲しみも大きいのは当然です。悲しさを埋めてくれるのは時間だけだもの、少しずつ少しずつ悲しさが別の愛おしさになりますように(祈)
無題
一緒だと言われればそーかもしれんが、違うんだよね。
姉妹猫の時、未明から「今日の午後あたり」ってピンと来てて、さすがに夫も店に出ろとは言わなくて、その時まで一緒にいられた。
1時間後に霊園のお迎えに渡して(自宅前でなく店に来て貰った)、私はすぐ義姉来日のお迎え任務で空港へ。
行きの高速で何を思ったのかも覚えてない・・。義姉には「ついさっき死んだ」とは言ったけど他の会話記憶もなし。
それから終い風呂に入るまで、台所に立ちっぱなし。
看取れた奇跡(長丁場だったし)、霊園も空港も滞りなく間に合った・・凄いじゃん、ナイスタイミングじゃん・・
その事を感謝して感動する「こと」にして淡々としてた。
一晩安置せずにすぐ渡した事を後悔もしながらも。
家的には義姉来日がビッグイベントな訳で、これが「もう死にそうだから迎えに行けない」とは言えない(言わない)し、ちゃんと出発する自分だし。
もし、戻った時に昇天してたら悲しかったと思う。
2階へ上がって「午後4時そのまんま」の部屋に帰った時は、ホントにいないじゃん。あの子だけがいないじゃんて。
キャサリンなんて、発病してから敵視してたから何も変化ないし。これがダブルで寂しかったなー。
これはこれでアレなんだけど(適語がない)、
雨ちゃんと夫さんのとっくみあいとか読むと、ちょっと羨ましかったり。なんかさー、いろいろ平常心でやり過ごす嫁は、こういう事もスルー(のふり?)出来るんだよな。
「こんな日に波風立てず、ましてや翌日に持ち越さず、私一人でひっそり葬ります」みたいな。好きなだけ回想しても不憫な部分は拭えないわ。
なげー。ごめん。
ちゃんとガーベラとかカスミ草ゲットできて良かったね。
右のミニアレンジもかわええ。
無題
うんうん、最初はね、悲しさがね、麻痺してるというか・・。
よーく、わかります。
私なんて、アンチが死んで即火葬でもいいや~なんて思ってて、
でも病院の先生に「一晩一緒に過ごしたら・・?」って言われて、
あー、そういう考えもあるのか・・と。ははは。
あんがい、ケロッとしてるじゃん、私・・なんて思ってたけど、
甘~~~~い。
内出血のように、ずーーーっとじくじくじくじく、今でもポロポロポロポロ・・・、悲しい~~。
でも、当たり前だよね。悲しいのは。
愛してたんだもの。愛してるんだもの。ね。
「愛してるよ~~~!!!」っと今でもたまに叫んで、
大泣きしております。
雨さん、その悲しみは愛ゆえの悲しみ。
耐えることなく、浸ったらいいんじゃないかな。
な~んて、聞き流しちゃってくださいませ~。
無題
もう、本能のままにペケペケちゃんを想う、で良いかと(;_:)
悲しさには、嫌な悲しさと、そうじゃない悲しさがあるけど、
幸せな時間を共有した、愛しい物を失った悲しさは、
時間と共に、優しい悲しさに変わっていくと思います。
そんな時間が、早く雨さんに訪れてますように…。
ペケペケちゃん、一か月だね。
ここに来ると、いつでも会えるね。
忘れないよ。
雨さん、ゆっくりで良いんですからね。
うじうじ、めそめそ、上等じゃ~、ですよ。
お外で美味しい物を食べて、アンコ炊いて、太って(←うふ)遊んで、そして時々は泣いちゃって。
そのままの雨さんでいてくれて。
いつもいつでも、応援しています。
無題
19年、毎日毎日同じことをしてたら身体の形だって変わりますし。毎日毎日ペケペケさんを抱っこしてたら腕にも脳にもペケペケさんの形が刻み込まれてますよね。その中心がなくなったら、困っちゃいますよね。
どんなに納得のいく見送りができても、「悲しい」のど真ん中を通らなくてはいけないものなんですね。わかっていても辛いなあ。愛がなかったらこの辛さもないんだけど、やっぱりツライなあ。辛いのがペケペケさんじゃないことが救いになるかしら。
なんかわけわかんない独り言でゴメンナサイ。
無題
マダムーーーっ!
毎日シエスタをこっそりのぞいてます。相変わらずの読み逃げ大魔神です。ごめんなさいー。
もー、ウジウジめそめそしているヘタレに温かいお言葉、ほんとにありがとう。
マダムがペケペケに会いに来てくれた時のことを思い出します。マダム撮影の記録も残ってますもんね。幸せな飼い主と飼い猫です。
ありがとうっ。(TOT)
キャサさん、
長文歓迎っ。
アイリーンちゃんの大切な思い出、書いてくれてありがとう。
アイリーンちゃんも奇跡のタイミングだったんだね。
うん。悲しいと寂しい、違う。
「○○時そのまんま」、これがキツイね。
キャサリンちゃんとチョロも同じ感じかも。
私は、仕事もないし子どももいないし夫はほとんどいないし、今は学校にも行ってなくて、ほとんどヒト以下な生活なので、もうどっぷりで、やっぱりものすごく恵まれていると思います。
立ち直りのキッカケがないとも言うけど、別にいらないー、という気もして、ますます廃人への道をまっしぐら。^^;
は、花…。
し、しまった…。キャサさん、プロ…。( ̄ロ ̄|||)
プロに見られる想定はしてなかったよー。
でも、輸液の代わりに毎日できる作業。見てもらえてうれしいです。
アンママ、
ありがとうーーー。
そうなのね、きっと。
私も麻痺してたかなー、やっぱり。
↑でキャサさんも書いてくれてるけど、
家で、私が、ちゃんと看取れた、ってことに『感謝して感動する「こと」にして』たんだと思います。
でも、ぜんぜん覚悟なんてできてなかったし。
大鳴き(うちの第一変換はコレだ。^^;)
もとい、大泣き、します。
ガマンしないー。
だまごんさん、
ペケペケに会いに来てくれてありがとう~。
悲しい~。
でも「上等!」の一言がうれしいです。
本能のままに生きすぎてほぼヒト以下ですが、こうやってみなさんに温かい言葉をいただいて、泣いたり笑ったりしながらペケペケのことを思っています。
太るのはナシで。ふっ。
MMMinMcityさん、
ああ、そうですよね。
「その中心がなくなっ」て、困っちゃってるのかも。
覚悟はできてなかったし、後悔もいっぱいだけど、幸せな看取り方だったというのは確かです。
でもやっぱり悲しいです。
わけわかんなくないです。
つらいのがペケペケじゃない、って、なにより重要なこと。ありがとう!!!